The 23rd ATEM National Convention: Understanding Society and Language through Visual Media
開催地
和文:
小樽
英文:
Otaru
アブストラクト
映画を導入する英語授業は、英作文教育においてどのような有効性を見出せるであろうか。とりわけ、(和文英訳というよりは) Introduction-Body paragraphs-Conclusionの構築に基づいて主張を述べるエッセイライティングの指導に研究対象を絞った場合、この有用性のありかを見出す試みはより顕著な課題であるように思われる。そこで本研究が注目するのは、映画が観客に差し出してくる「問」である。仮に、そもそも個々の映画には製作者のイデオロギーないしは観客への社会的メッセージが込められているとしよう。そのメッセージは、物語を通じて直接的というよりは間接的に、「答え」というよりは「問」の形で観客に差し出される場合も多い。そのように、賛否両論、意見が分かれる議論を問うてくる映画を授業で提示できるのであれば、エッセイライティングのためのトピックとして成立しうると本研究は考える。具体的な作品として、今回はWhiplash (2014)を取り上げる。例えば、この映画が観客に問うているのが「教師は学生の将来を見据えた場合、とても厳しく指導にあたるべきであるか?」(Should teachers be very strict with their students for their future success?)という問題であると仮定してみよう。映画を鑑賞する時間も取りつつ、この問を受講者に課した場合、彼らの思考はどのような刺激を受け、そのライティング活動はどこまで促進されるであろうか。我々は本発表を通じ、具体的なレベルにおいてはWhiplash (2014)が投げかける社会的な問を丁寧に読み解きつつ、抽象的なレベルにおいては、エッセイライティングに用いるのにふさわしい問をどのように個々の映画に見出しうるのか、その方法論も検討したい。